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手取り19万円、離婚寸前。

渡部裕樹
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渡部裕樹
元リサイクルショップの店長という経験を生かしてせどりという物販ビジネスで独立。 独立までの過程で経験した夫婦問題を乗り越え、家族に背中を押してもらえるようなビジネスの構築をサポートしています。
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「離婚したい。今度の休み子供を連れて実家に帰るから。」
「疲れてるし、もう寝るね。おやすみなさい。」

すごくショックだった。
意味が分からなかった。
情けないことにいい年した自分はひたすら泣いた。
頭の中にずっと妻に言われた言葉が響いていた。

 

 

どうも、はじめまして渡部です。

突然、ビックリするような展開だったと思いますが実際に自分で耳にした言葉なので伝えさせていただきました。

ここではこんな台詞を口にさせる夫婦関係と経済的なピンチをいかにして切り抜けてきたのかを書かせていただきたいと思います。

 

周りの知り合い、友人は結婚し、子供がいました。
家族があって、家まで建てた、そんな友達のほうが多いくらいでした。

気づけばもうすぐ30歳。
ありがたいことに、そんなタイミングで妻と出会い、アピールが実り結婚した。
贅沢ができなくても、幸せであればいい、そんな風に思ってました。
まぁ今もそれは変わらないんですけど。

結婚当初の家族計画はこうでした。
・僕は今務めているリサイクルショップの店長を目指しながら正社員として働く。
・妻は寿退社し、パートとして生活費を稼ぐ。
そんな風に貯金をしながら、周りと同じように自分たちの家を建てる。
そして家族を迎える。
まぁよくある夫婦のよくある計画です。

ただ、当時の僕の給料は手取りで19万円。。。
週に一度程度、月に5,6日の休日。
7時には家を出て、帰るのは21時頃。
ボーナスは一月分もなく、年収で300万円以下。

そんなんで、よく結婚なんかしたなぁ、と笑う友人までいたくらいでした。

二人で働けば手取りが30万くらいになるし、
ほとんどの夫婦、家族がそんなもんだろう!と楽観的に考えていました。

そんな僕らの元に子供は計画よりも早くやってきました。
妻が妊娠。

妻のお腹の中で子供が大きくなることが幸せな毎日ではありました。
それに比例して経済的な不安も徐々に大きくなっていきました。

家賃や光熱費、生活費を払ってしまえば、貯金もできない。
欲しいものはとにかく我慢。
足りなくなった日用品や食品の買い出しさえも節約する生活。
息抜きの外出もできない状況で妻の不満がたまらないはずもないですよね。

ささいなことで言い争うようになりました。
この時から妻は、自分の給料、職場を変えることを求めるようになりました。
その都度、僕は

「今は子供がお腹の中にいるから。」
「このご時世、仕事があるだけでも満足だから。」
「うまく節約すればやっていけるよ。」
「車なんか趣味じゃないし、動く中古車でいい。」
「海外旅行なんて興味ないし、国内でいい。」
「家なんかいらないじゃん?賃貸か中古マンションでいい。」

そんなことばかり言って、転職を考えもしませんでした。
仕事が好きだったのもある、ただそれ以上に自分を諦めていました。
今どき転職なんてみっともないし、格好も悪い。

今考えると努力するのも面倒だったんだと思います。

そんな僕は、今の給料で食っていける生活で我慢するのは当然で、我慢できない妻が悪いと思っていました。
生活が苦しくなるのは困るからと、出産した直後の妻と子供を連れて自分の実家に帰ることにしました。

これが悪い状況を2倍にも3倍にもしました。

 

引っ越しの日に妻が泣いていたのは寂しいからだと思ってた。
それに気づかない僕には夫婦関係が壊れ始めた瞬間だと、気づいてもいなかった。

 

実家は職場から遠方だったため帰りは1時間ちかく遅くなりました。
それもあって、僕らの会話は極端になくなりました。
仕事場から変えれば10時近く、ご飯を食べて、風呂に入って寝る。
そんな毎日。

妻は生まれたばかりのはじめて子供育児で疲れて果て、僕はといえばそんな育児に疲れている妻にも気づいていませんでした。
だから元気がないのかな?
そんな風にしか思っていなかった僕に、妻は無表情に一言僕に言いました。

 

「離婚したい。今度の休み子供を連れて実家に帰るから。」
「疲れてるし、もう寝るね。おやすみなさい。」

 

すごくショックだった。
意味が分からなかった。
情けないことにいい年した自分はひたすら泣きました。
頭の中にずっと妻に言われた言葉が響いていた。

 

どうすればいいのか情けないことに分からなかった。
どれだけ考えても何が不満なのか、どうしてそんなことをいうのか分からなかった。
そんな僕に妻は呆れながらも決断の理由を教えてくれました。

「給料が安いのに不満じゃないんだよ。」
「ただ休みが少なくて、不定休で、帰りも遅いじゃん」
「家族のこと考えてくれない旦那とは一緒にいれない、ここ(実家)にはいたくない。」
「しっかり休みがとれて、今の給料より多いところなんていくらでもあるのに変えないのはあなたの都合でしょ?」

本当に情けないことだが、妻の心の叫びでやっと事の重大さに気づいた。
自分の都合を押し付けていたことに。

 

次の日から必死で転職先を探しました。
リサイクルショップを中心に探してはみたがやはり、条件にあうところは少ない。というかない。
給料を考慮してくれる会社もあったが、やはり勤務時間、休日数は似たりよったりでした。

そんな報告と日々の育児ストレスで妻は僕の実家にいるという苦痛で誰がどう見たって爆発寸前でした。

実家をでなくちゃいけない。
家を出るということは、またギリギリの生活に戻る、ということだった。
あの時とは違う、子供もいる、お金が足りなくなったとしても妻は働けない。
馬鹿な自分はこうなってはじめて自分の給料が少ないことを情けなく思いました。

あと10万円くらいあれば、そう考えることが多くなり、物件探しと並行し、自分は副収入を得るための情報収集に時間と費やしました。

そこではじめて”せどり”というキーワードを知りました。

せどりとはどんなものなのか、情報誌、書籍を買って情報収集をしました。
お店に来ている常連さんももしかして、せどりをしているのかも?その時にはじめて気づいた。

僕は思い切って、仲のいいせどらーさんと思われる常連さんに訪ねてみました。
どのくらいせどりをしているのか、せどりでどれくらい収入があるのか。
そもそもせどりってどうすれば覚えられるのか聞いてみました。

そんなことを尋ねてくるおかしな店員だったのにも関わらず簡潔に教えてくれました。

「せどりは誰でもできるよ」と。
そして
「10万円前後を副業で稼いでいるよ」と
そこでとある有料コミュニティを紹介され、即日参加し、せどりをスタート。

しかし一ヶ月目にはまったく成果が出ませんでした。
そもそもどうすればいいのかも分かりませんでした。
当時の僕にはそのコミュニティを有効利用することが出来ずに、また馴染めずにいました。
そんなときにコミュニティー内ですごく優しいせどらーさんと出会い、ツアー参加募集を知り、ツアーに参加することにしました。

すごく丁寧に、売場での動き方、プライスの見方、ツールの解説をしていただき、せどりとはどういうものなのか、を優しく教えてくれました。
なによりもせどりだけで生活までできるようになれることにも驚きました。
そのツアーが大きなきっかけとなり、せどりと真剣に向き合うようになりました。

その方の師匠に当たるMASAHIROさんの、通信講座を紹介していただき、講座に参加することしました。

 

通信講座に取り組むことで、目標だった利益10万円はあっという間に達成できたが少なかった時間をせどりにつかうことで、せどりに妻は反感をもつようになりました。
ただ、行動量が増えれば結果が出るんじゃないかという期待感があった僕は妻を説得し、理解を求めました。

妻の我慢のもとで続けるせどりでも継続して結果は出た。
ただそれだけで生活していくのには、やはり厳しいし、限界も感じていました。

そんなタイミング、2015年3月にMASAHIROさんの企画発表動画。

これまでの僕は、いつも失敗を怖がって安全な方に逃げていく人生。
高校受験も大学受験も確実に受かる学校しか受験しなかった。
仕事だって新しい場所に挑戦するのが怖くてやめずにずっと続けていた。

変わらなくちゃいけない。
そう思った僕は企画参加を妻に相談せずに決めました。
やるしかない状況に自分を追い込んだのはこれが人生ではじめてかもしれません。
とにかくやるしかありませんでした。

そして企画が始まり、たくさんの仲間と出会い、与えられた課題に必死で食らいついていった。

 

ここで自分の強みが何か、それをどう活かしていくのかをMASAHIROさんから学び、気付くことができました。

自分は中古ショップ店の店員。

この時には店長になってました。

 

8年間勤めた経験値を元に、とにかく勤務中に動作チェックや売価付け時にリサーチを積み重ねました。

中古商品だけの扱いに限定すること、職場経験を組み合わせることで少ない稼働時間でできることを考えました。
少なかった時間のすべてがせどりになりました。
それでもその必死さは妻にも伝わり、妻の応援も得られるようになっていきました。

妻も実は職場の同僚だったので、中古オンリーが僕らにあってたのかもしれません。

 

結婚して2年目になってはじめて、家族が噛み合いだしたのかもしれない。
夢にまで見た成果は驚くほど早く到達し、いつのまにか給料の倍ちかくの利益額にまでなりました。

そんな僕の背中を妻は押してくれた。
「せどりで独立したら?」

2015年7月で8年務めた会社を退職。
月商は180万円、利益57万円まで伸ばすことができました。
おかげで現在、家族3人で暮らす専業せどらーとして、現在奮闘中です。

 

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渡部裕樹
元リサイクルショップの店長という経験を生かしてせどりという物販ビジネスで独立。 独立までの過程で経験した夫婦問題を乗り越え、家族に背中を押してもらえるようなビジネスの構築をサポートしています。
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Comment

  1. よしぎゅー より:

    凄く、良い記事ですね。
    独立するまでの葛藤が文面からも伝わってきました。

    脱サラしたくて、副業を始めても時間がかかり過ぎて
    自分のモチベーションが続かなかったり、
    家族の反対が強くなったりして辞めれれない方も多い中
    短期決戦で勝負した所は、私にも通ずるところがあり
    共感できます。

    自分自身で稼ぐ力を得た今、これからが本当の戦いです。
    本当の仕事の意味、人生の意味を見出して下さい。
    応援しています。

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